高校卒業後、映画監督を目指して上京した宇治川さんだが、気がつけばマリン事業会社のインストラクターとして沖縄に派遣された。当時24歳の宇治川さんが見た最初の沖縄は、本島北部の風景だった。
「夜、那覇空港に到着してそのまま車で北部の備瀬に到着しました。朝起きて外に出たら、そこには少年時代に戻ったような、懐かしい風景がありました。備瀬の集落、フクギ並木、目の前に広がる青い空に真っ白い雲そして海。それが、自分にとっての沖縄のファースト・インプレッションでした。」
その後は一旦沖縄を離れた宇治川さんだが、1991年の帰沖後、マリン関連の会社やダイビング器材メーカーに勤務する傍ら独学で陸上・水中写真の技術を学び、撮影会社を設立。現在も沖縄の風景を撮り続け、写真展の開催やフォト&エッセイの各誌掲載、写真集の出版など、幅広く活躍している。
■父からもらった思い出、そして沖縄
少年時代の宇治川さんは、建設関係の仕事に就いていた父の転勤で国内各地を転々としたそうだ。昭和の高度成長期の建設現場、その多くは新幹線などの建設地など本州には田舎町が多かった。現在は「沖縄」を撮り続ける宇治川さんだが、意外にもその活動の原点のひとつは、これら少年時代に見た風景だという。
「何も沖縄の自然や風景が全てというわけではないんですよ。子供の頃に見たもの。例えば、九州や中国地方、関西などの区画整理前の田舎風景とか、建設現場の風景、パンツ一枚で遊んだ川や海そして秘密基地をつくり探検をした山。あとは団地の4階に住んでいたので、ベランダから見える建ち並ぶサザエさんに出てくるような家、小さな商店街、工場や銭湯の煙突などの風景とか、土管が積まれた空き地なんかも好きでしたね、ドラえもんに出てくるような。」
その他宇治川さんの思い出に残る風景とは、バスや路面電車に乗って出かけた田園風景、街並みなどなど、宇治川さんにとって「懐かしい風景」。
そして大人になって沖縄に足を踏み入れたとき、沖縄は宇治川さんの心の奥にあった「懐かしい風景」を呼び起こし、その風景の大切さを宇治川さんに認識させた。
「沖縄の自然や町並みや人々の生活そのものに、忘れかけていた子供の頃の懐かしい風景がたくさんありました。」
「たくさんの自然やサンゴ、赤瓦の家。窓も開けっ放しで家族みんなでご飯を食べている光景とか・・・」
少年時代に見た各地の光景は宇治川さんの心の原風景となり、またカメラ好きの父が撮影した当時の写真は宇治川さんのその確固たる土台の上に、仕事や人生を築いてきた。
そして現在は2人の子の父親である宇治川さん。
「うちの子たちは今、何を見ていて、これからどう育っていくのかなあ。」
■懐かしい沖縄の風景の向こうに。
資本主義に迎合した沖縄、テーマパーク化してしまった沖縄を嘆く声がある。そして、プロカメラマンとしての宇治川さんは、観光用に作られてきた沖縄を撮る機会も多いに違いない。
宇治川さんが仕事ではなくプライベートで撮るのは「押し付けのない、沖縄」だと言う。
「家の造りも生活様式もずいぶん本土化しましたね。僕の求める沖縄の風景はもう一部しか残っていない。その場所を探して、写真として切り取るしかなくなった。」
「でも、沖縄出身で内地に住んでいる人が、僕の写真集を見て『懐かしい。』と言ってくれるんですよ。」
「押し付けではない、懐かしい沖縄の風景を子供たちに残したいですね。将来、父が撮影した写真のように、僕の撮った写真が子供たちに何か語りかけてくれたらいいなぁと思いますよ。」
それが、カメラマンの宇治川さんと父親の宇治川さんの共通の想いのようだ。
沖縄の子供たちが将来、自分の居場所を見失ったとき、いつでも自分の心の原風景の中に戻れるように。そして自らの機軸となっているものを確認して、再出発できるように。
「僕の写真を見てくれた一人一人がいろんな思いを感じてください。」
少年時代の懐かしい風景を中心に展開される宇治川さんの話だが、不思議とノスタルジックな響きを感じない。
私たちも、自分の心の原風景は何なのか、そして今見ている沖縄の風景が自分や家族の人生にどう関わっていくのかを考えたときに、今までとは違った沖縄との接し方が見つかるのかも知れない。
(写真提供:宇治川博司 取材・文:大矢正史/沖縄ライフスタイル)